Leaks out/駄駄漏れ(da da more late)

自分の5年前の就活の時も「5〜6年間くらいVectorでフリーウェアやシェアウェアを頒布・販売して開発〜サポートまで1人で全部こなしてきた」ってアピールしてもベンチャーから大手まで全部無い内定だったので、新卒採用はそこそこ光るガラス球よりも未知のダイヤの原石が求められていると思う

Twitter / sue445: 自分の5年前の就活の時も「5〜6年間くらいVectorでフリ … (via farvel)


こないだ金婚式を迎えたうちのばあちゃんの有難いお言葉を聞け

「離婚を考えたことは一度もありませんでしたよ。殺そうと思ったことは何度か」

ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd - 金婚式を迎えたうちのばあちゃんのお言葉 (via mugen8764) (via thinkupstudio) (via parparlotie) (via yellowblog) (via marimofire) (via dannnao) (via doggylife) (via technolize) (via sampler) (via reretlet) (via saitamazihen, openarms) (via yasunao-over100notes) (via yasunao) (via gkojax) (via highlandvalley) (via umi82mizuiro) (via sugitaro) (via mobits) (via konishiroku) (via snamn) (via kurono) (via mnky) (via junmyk) (via yatchu) (via maepon) (via flatmountain) (via zaiga) (via kissmyhipbone) (via uessai-text) (via gscube) (via uessai-text) (via yoichi13) (via ibi-s) (via wayayaya) (via highspeedturbine) (via ibi-s) (via oyaki) (via kitutuki) (via holbit21) (via konishiroku) (via yellownegi) (via plasticdreams) (via darylfranz) (via cannot994k) (via hi-drop-69) (via dannnao)


俺に一番影響を与えた人

子供の頃から「坊ちゃま」「坊ちゃま」と言われて育った。

それは自分病院の跡取り坊っちゃんだったかである

しわくちゃな手をした人たちが自分を取り囲んで、

「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。

自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。

はいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。

自分弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。

「東大理Ⅲしかさない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。


高校3年のとき病気になって手術を受けた。

都内の大きな病院だが、執刀医は父親の親友であった。

受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いからに決まっているからで。

自分高校名も父親の名前バレバレであり、「さすが頭がいい人は勉強道具を持ってこないのね」などとナースがいう。

嫌味には全く聞こえなかった。

あなたもお医者さんになるんでしょ」と皆が言った。いつの間にか病棟患者さん全員が知っていた。

そういうつもりはないのです、とは言わずに、「なれると良いですね」と答えていた。



手術後は貧血があるだけで元気であった。

まりにもやることがないので、毎日の日課は回診だった。

今思い出せば、それは末期がんの患者さんが多くいる病棟であった。

当時、流動食(で、かつ高カロリー)というのは病院メニューにはなかったようで、ラコールやらエンシュアやらいう薬もなく、

自分ミルクセーキのようなものを作ってチューブで流し込む、というような生活をする人がいた。

その人は喉頭が失われていたので意思の疎通は筆談なのだけれど、わざわざ病院の近所のスーパーに買いに行っていたか自分がお使いをしたり。

あとは各部屋で何時間患者さんたちと喋りこむのである



俺は高校生で全くの素人なわけで、そんな自分健康相談をするのは全く間違っている。

全く間違っているわけだが拒絶するのもおかしな話だし、第一自分の家は病院で、物心ついた時には患者さんたちや従業員さんに囲まれて育ったわけだから

死ぬとか、苦しいとか、そういう事について多少は自分なりの考えを持っていたんだろうとは思う。

(「死ぬのは苦しくはないんですよ」というような。それはうちの病院が30年前にすでに緩和ケアみたいなのをやっていたから本当の話)

はいえ、自分が何か話す、というよりは人々の話を聞いたり、会話の媒介者になる、ということをただただ繰り返していたわけだ。



そんな中に顔色の悪い「その人」はいた。

30歳ぐらいの「その人」はいつも口数が少なくて、元気がなかった。

家庭の事を聞いたかもしれないけれど、良く覚えてはいない。

でもだんだん日にちが経つうちに、打ち解けて来たかもしれない、という印象を持った。

今はその人がどんな病気だったかがわかる。乳がんで、たぶんあんまり予後が良くない状態なんだ。



俺が退院するという日になって、「ちょっと話がある」と地下に呼び出された。

なんだろうと思ってついていくと、めっちゃいかつい男性がいた。こわい。

どう見てもその筋の人である

どうしよう、怒らせてしまったのだろうか。


喫茶店で俺の向かいにその二人が座ったが、

別に文句を言われるでもなく、

「夫です」などと自己紹介をされた。自分はといえば、どこから刺青が見えるんじゃないかとかそんな事を考えながらさりげなく相手を観察しつつ

はいはい」と話を合わせていたのだけれど、そのうち「その人」の顔つきがちょっとかわって、

「○○くん、絶対医者になってよ」と唐突に言う。

はい?」

「○○くんは絶対医者になってほしい」

「と、妻が申しております

その男性までが頭を下げるのである

頭を下げてお願いされたのは、その後の人生でもあまり記憶にないのだけれど、

こんな一瞬の出来事が、自分医者になった理由である


医学部面接では、

途上国医療に貢献したい」

と言ったが嘘である

知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由ではあまりにもいい加減すぎるだろう。

俺に一番影響を与えた人 (via ibi-s)